2010年11月7日日曜日

思い返して

赤面する事は多々あります.


marc rothemund (director) / 白バラの祈り -ゾフィー・シェル、最期の日々-

2005 released

120 min

federal republic of germany







合言葉は「どうしてこうなった!」である友人に勧められて観た映画です.
戦争映画は消耗が激しいのであまり観たく無い人間です.

以下は読む人によっては気分を害するかもしれませんので,ご注意下さい.

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主義・主張の衝突.時代の影響.
1943年,第二次世界大戦戦時下のドイツはミュンヘンが舞台.

白いバラの女性メンバーであるゾフィーは同じくメンバーである兄と,
ミュンヘン大学に反ナチズムを訴えるビラを巻くことから映画は始まる.

反ナチズム団体である白いバラの一員である女性ゾフィー.
彼女は自らの信念を貫き,ギロチンで首を落とされる.

ゾフィーは自由と非暴力を信念としていた.言論統制や大量虐殺を許せなかった.
罪を認めたゾフィーは尋問官に信念をぶちまける.虐殺・選民・戦争の無駄を.

尋問官は信念を捨てろ,そうすれば生きていられると答える.
彼は第一次大戦後,疲弊しきったドイツと現在(二次大戦中)のドイツを比較し,
現在の素晴らしさを語る.

両者の意見は至極真っ当で,納得するのである.
自由・平和.素晴らしい.飢えない・学べる.素晴らしい.

衣食足りて礼節を知る.その上に自由と平和はあるのだろうと尋問官は言う.
人の根底は神聖であり,善良であり,自由である.ゾフィーは言う.

自由とは何だろう.選択肢が多い事だろうか.可能性に賭けられる事だろうか.
その自由は法治されるが故に求める事ができる事象ではないのだろうか.

彼女が慟哭するシーンは信念と生への執着を真正面から捉えていて怖い.
処刑直前に現れ,無言でゾフィーを見つめた尋問官は社会性と愛の葛藤を写す.

戦争は愚かだ.自由も愚かだ.戦争とは何か,自由とは何かを考えさせられた.
正直,この映画を観終え,ゾフィーを素晴らしいと手放しで言う人は怖い.

個人が生きている社会において自由の範囲は規定され,
幸福の範囲も規定される.のか?

戦争が無いからこんな下らない事が考えていられる.
これが自由だ.か?


   

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